2015年09月27日

第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】

第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】

犬山城の入城時間の受付は16:30までとなっていた。
名鉄犬山駅到着予定の15:30が若干遅れて16:00着となった。趣のある城下町を振り向く余裕もなく競歩同様に城を目指す。

第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】

犬山城は、木曽川沿いの山上にあり入り口辺りから城までは少し坂道を上がらねばならず、入り口付近でエミちゃん、ヒロアキ、ミツオが「たこ焼きを食べて待つ」を宣言。
第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】

8人で城を目指す。受付を済ませたものの入城までが長蛇の列・・並んで待つこと30~40分もかかったような?
並ぶ間に青紅葉を照らす日差しの向こうの石碑の文字を見飽きるほどに眺める。   

いい加減飽き飽きした頃にいよいよ入城、小ぶりな城の漆喰の白さが美しい。
中へ入れば急勾配の階段で天守閣を目指すことになるが、暑さが遮られるだけまだいい。

第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】

第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】

天守閣の中では、心地よい風が流れ眼下に木曽川の蛇行が美しかった。手すりに寄りかかることなかれ!の、文言を読んだ後にやや外側へと傾斜するもある天守の廻り縁へと案内される。

ここでアケミの高所恐怖症が発覚。コワイ、コワイ、コワイ・・と両手を壁に貼り付けつつソロソロと進んでゆく(チャンと廻ったからエライ!)という事で犬山城を満喫してきた。

小さいながらも不思議に温かみの感じられるいい城だと思い、調べてみれば『犬山城は天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである』とWikipediaには書かれていた。
なるほど小さい訳だわさ。

「後堅固の城」とも呼ばれ戦国時代を感じさせる犬山城ですが、戦国時代の三英傑である信長、秀吉、家康はともに名古屋出身だったようです。

第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】

城を出て木曽川沿いの遊歩道から鵜飼の船乗り場へと移動する。
じわじわと日暮れの近づく中、早めの夕食をと店を探すが何もない。夕涼みする地元の方に唯一営業しているらしき店【スワン】を教えて頂く。

第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】

美味かった、ハンバーグ。お店の方も親切で、鵜飼乗り場までの近道を教えてくださったりと、いい時間を楽しんだ。

そして、木曽川の鵜飼である。
15分程の遊覧があり、犬山城のライトアップが月と並んで美しかったのだが、写真はうまく撮れず残念だった。
ビデオもうまく撮れていませんが、イメージだけ・・・

第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】



第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】
岐阜県の長良川では,毎年5月中旬から10月中旬の間,1300年来我が国の古代漁法として伝承されてきた鵜飼漁が御料鵜飼として皇室の保護のもとに行われています。

皇室と鵜飼の歴史は古く,律令時代には鵜飼人(鵜匠)が宮廷直属の官吏として漁をしていた記録があります。その後,各地の鵜飼は諸大名の保護のもとで続けられますが,長良川の鵜飼は,尾張徳川家の保護を受けて続けられてきました。

しかし,明治維新とともに保護も無くなり,古代漁法として伝承されてきた鵜飼漁法は消滅の危機に瀕しました。

そうした中,明治23年,時の岐阜県知事の要請を受けて,宮内省は鵜匠に職員の身分を与えるとともに,長良川に3か所の御料場を設置し,引き続き,御料鵜飼として鵜飼漁が行われるようになりました。

現在,御料鵜飼は,古津地区及び立花地区の両地区において宮内庁式部職鵜匠により,毎年8回ずつ行われており,このうち古津地区の2回は,駐日外国大使夫妻等を招待し,日本の伝統文化である鵜飼漁を紹介しています。

と、宮内庁のホームページには紹介されている。
今回は、愛知県木曽川の鵜飼だったが、次回は長良川の御料鵜飼の観覧もしてみたいものである。

19:45分頃に下船、船着場から3分程度で最寄り駅の「犬山遊園駅」である。
21時ごろにホテルのある栄駅近くの店を予約してあるとの事なので急いで向かう。

黒人ボーカルの歌に、ノリノリの んざい会 メンバー。手配してくれた、チュージは急遽都合がつかなくなり不参加となる。遅れ馳せながらと姿を見せたのはヨギマサヒコでした。

第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】

ノリのいい男前さんと2次会のカラオケへ・・・

第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】

第7回-2 んざん会 大人の修学旅行 【国宝犬山城~木曽川鵜飼~夜会】

沖縄アーグを歌わせると、声質と合って素晴らしくうまい、タンバリンを叩かせるとこれもGOOD! ダンスのステップも自然に踏む。かつて遊び人であったことが窺い知れる。(女房が心配する訳だわさ)

その後、ホテルへ帰り着いたのが午前1時。一部のメンバーが3時頃まで徘徊していたと聞いたのは翌日だった。

                次は博物館明治村へ


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Posted by アグが華 at 00:43│Comments(7)んざん会
この記事へのコメント
慌ただしく観光しているのがよくわかります懐かしい犬山城や木曽川。岐阜に住んで始めての観光が犬山城と明治村でした。川を越えた、すぐ近くの坂祝町に、二年間学業に勤しんでいた頃を思い出します。実を言うとあまり勉強はしないで車ばっかりいじっていた。雨にも負けず雪の日も。バカだよね…そんな事を懐かしく思い出しています。来年は岐阜で当時の同窓会(沖縄県出身の)を予定してるらしいです楽しみです。次回の明治村も期待してます。
Posted by アララガマランナー at 2015年09月27日 11:25
ひでみちゃん

またまた、お疲れ様でーす。

犬山城、小さいけど どっしりした
城ですね。
天守閣からみる風景、風流!
秀吉 信長 家康は、名古屋の出身なんだね。
日本の戦国時代の有名な武将3名、名古屋って
すごい所だね。

鵜飼の動画、みんなの声『何々、見えない見えない
すごい たいまつだ』楽しさが、伝わってきます。
久しぶりにひとみの笑い声 聞いたさー

まさひこ、那覇での同窓会に来てたよ。
すごくかっこよくて、昔と違い
よく話すので びっくり!
今回もノリノリだったんだね。
あぐって、良いですね。

次回号も楽しみにしてます。

楽しい記事 ありがとー\(^o^)/
Posted by Kumiko-y at 2015年09月27日 15:29
アララガマランナーさん、コメントありがとさんでした。

今回の記事、いろいろと懐かしいところだらけだったのかもしれませんね。
まさかの岐阜住まいの経験があろうとは、こちらの方がビックリでした(笑)
岐阜での同窓会・・長良川鵜飼いくのかな?いいなぁ。

                       ヒデミさんでした~~♪
Posted by アグが華アグが華 at 2015年09月27日 15:32
Kumiko-yさん、コメントの見落としでしたゴメン。
犬山城、多分だけど全体が天守閣なんだと思うよ。
城自体は、まだまだ大きかったのじゃなかったかと思うんだけどね。

お城好きで、いろんな城に入ったりするけど、不思議に温もりのある
城でした。寝転んでのんびりしたい気にさせられるほど・・(笑・怪しいよね)

学生時代のマサヒコの記憶は私にはまるで無いです。恐らく、マサヒコの方も
そうじゃないかと思うんだけど、ミチヨは「ひこちゃん」って呼んでたっけなぁ?
なので、始めましてから始めましょ♪って感じかな?

話は、そんなにしなかったけど、何しろノリのいいヤツでした。
チュージにあえなかったのが、ちょっと残念でした。

名古屋行く前に、チョッとだけチュージと話したんだけど、電話だと
すごくいい声してるんだよね。
私のこと知らないと思ってたら、「わかるさあ!」と、言ってくれてたよ(笑)
23期生面白いね。なかなかいいよ。

              ヒデミさんでした~~♪
Posted by アグが華アグが華 at 2015年09月27日 16:34
第二弾、んざん会記事お疲れさんねヒデミン

犬山城、有名だよねぇ
よく聞くけど余り詳しくは知らなかったし。
天守閣だけ残ってるお城も日本中にはソコソコあるのかなぁ?

天守閣に上がってく階段は結構高くて急だよね。
昔の着物や鎧なんか着てよくもまぁ上り降りしてたもんだよね。
今の人より小ぶりで足も短かったのにね(~_~;)
などと変な所で感心する私はやはりズレてる変わり者だろうか・・・^^;

木曽川の夕暮の風景ステキだね~
皆が食べてるご飯も美味しそーだじよぉ

鵜飼も生涯に一度は見てみたい。

第二弾も楽しいブログ記事Thank you❤でした
Posted by 美智子(^^ゞ at 2015年09月30日 12:13
ミチコ、どーもです。

>天守閣に上がってく階段は結構高くて急だよね。

そうなんだよね。でも、ここは特に急勾配だった気がするよ。

>昔の着物や鎧なんか着てよくもまぁ上り降りしてたもんだよね。
今の人より小ぶりで足も短かったのにね(~_~;)

珍しい疑問だね。
忍者もいただろうこの時代の、体力やら何やらを舐めてるね。
小粒でもピリリと辛い忍者の子、日々鍛錬してたんだろうね。

鵜飼船のお弁当も考えたのだけど、鵜の一度飲み込んだ鮎を
食べるのはイヤダー!!という事で、イタリアンでした♪

       ひでみさんでした~~♪
Posted by アグが華アグが華 at 2015年10月01日 22:01
まつがい!多国籍料理だったかな??
まあ、そんな感じ?
Posted by アグが華アグが華 at 2015年10月01日 22:02
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